野田北部の歴史
1896年(明治29年)神戸市に編入。神戸市野田村と改める。
(長田から、東尻池・西尻池・長田・駒ヶ林・野田・御崎・今和田新田・吉田新田を併せ林田区→神戸市に編入)
1912年(明治45年)野田村協議会設立。
1914年(大正3年) 神戸西部耕地整理組合設立許可。区域150ha
1923年(大正12年)双子池の埋立起工式(約42,000㎡)
(現在の本庄町2・3丁目、海運町2・3丁目あたり?)
双子池の埋め立てに伴い現在の大国公園の形状も確定した(大正12年地形図)
(伊藤善文 大正期における市街地化の展開より)
1927年(昭和2年) カトリック鷹取教会聖堂完成(現カトリックたかとり教会)
1932年(昭和7年) 大国神社(現在の大国公園)の社殿竣工
1971年(昭和46年)大国神社跡地再整備後大国公園と命名
1993年(平成5年) 野田北部まちづくり協議会発足
1994年(平成6年) 12月18日大国公園・コミュニティー道路整備落成式典開催
1995年(平成7年) 1月17日 阪神・淡路大震災
1995年(平成7年) 3月17日区画整理事業都市計画決定(鷹取東第二地区)
1995年7月9日 鳥居地蔵の法要(大国公園内)
1995年9月17日 たかとり教会ペーパードーム完成
1995年11月30日 区画整理事業計画決定(鷹取東第二地区)
1996年11月22日~24日 世界鷹取祭開催
1997年(平成9年)6月20日 街なみ誘導型地区計画大臣承認
1997年7月10日 2項道路中心線鋲設置式
1998年(平成10年)2月4日 細街路(2項道路)の美装化工事着手(長楽町3丁目)
1999年(平成11年)3月 「野田北部の記憶(震災後3年のあゆみ)」の発行
2001年(平成13年)2月21日 区画整理事業換地処分
2002年初め 野田北ふるさとネット創設
2004年(平成16年)8月7日 JR鷹取駅・駅地下道完成
2005年(平成17年)6月13日 パートナーシップ協定締結(対神戸市)
2007年(平成19年)5月26日 たかとり教会完成(設計 坂茂)
2014年(平成26年)3月16日 野田北ふれあいセンター完成
01
たかとり教会ペーパードーム
1927年に聖堂が建設された鷹取教会(現・たかとり教会)は、1995年1月17日,阪神・淡路大震災によって礼拝堂ともども焼け落ちました。 震災直後、建築家坂茂は教会を紙で建てることを提案しましたが、神田神父は「町の復興が先だ」と断りました。しかし、粘る坂氏に「町の集会所としてなら」ということで誕生したのが、ペーパードーム(58本の紙管の柱にテント張り構造)です。 現在は、台湾の中部での地震(集集地震)の関連で、2008年に台湾の埔里鎮桃米村に移築されました。
02
野田北ふれあいセンター
2014年3月16日 地域の資金と神戸市の補助金、およびみなさんの寄付によって建設された野田北ふるさとセンターが完成しました。1階は自治会集会所、2階は地域福祉センターになっています。